お知らせ
次の日曜日は「父の日」。
「母の日」より地味で控えめな日。
私の父も今年で満八十八歳。米寿になりました。
昔は数え年でお祝いをしたそうですが、最近は満年齢で祝宴をする人が多くなったそうです。
負けず嫌いで話好きは父親譲り。
議員になってからは父親と話す機会もめっぽう減りました(お互い姿を見ると意識はしているのですが・・・)。
心で思っていても、『おめでとう』や『ありがとう』といった感謝や労いの言葉も男同士では気恥ずかしくあまり口にも出来ないのです。
せめて、プレゼントを渡す時くらいは・・・。
誕生日と父の日の記念の日くらいは一言眼前で言葉を添えようと思うのですが、いやはや。
「日本語は世界中の言葉で最も美しく、千変万化の使い道がある」と昔、本で読んだ記憶がありますが、次の日曜日に果たして言えるかどうか今から悩んでいます。
コロナ禍が長引く中、疲れた患者さんに寄り添い励ましを与えるドクターや看護師さんの明るい言葉。
生活苦からつらい思いをされ一人悩んでいらっしゃる人をひと時、笑顔にするソーシャルワーカーさんのやさしい言葉。
転んで膝の傷口を見て大泣きする子どもさんを慰める保育士さんや学童保育の指導員さんの癒しの言葉。
多くの人に喜びや楽しさを伝え、明日へのエネルギーを与えるのも、誰かが発する言葉なのです。
言葉こそ誰もが所持し、人を癒しもでき、時に人を攻撃する道具にもなりえるツールなのです。
ひとと人との距離を保ち、密を避けなければならなくなって久しい日常だからこそ、言葉を丁寧につかいたい。一言一言、自ら発する言葉に繊細でありたいと思うこの頃です。 使い手や使い方により貶めもでき、救いもできる『言葉』『言霊』。
次の日曜、二つのお祝いの品を渡す時、父に発する言葉は何にしようか。
若き日、家内へのプロポーズ前夜に寝つけずいた時以上に悩む自分がいます。