お知らせ
年が明け、今年はどんな年にしようか。なるだろうかと考えながら出初式や成人式に来賓として参列していました。
その後、駅立ちや支援者まわりを吹雪の中、行い、新春の「県政レポート」配布をしていると、夕方から背中あたりに寒気が走りました。
それでも深夜、、連日、郵送されてくる監査資料に目を通していると、目の奥と喉がなぜか急に痛み出し、買ってあった菓子箱の抹茶飴やハッカ飴を次々と頬張りました。
夜遅く帰宅してきた妻から思わぬ言葉が・・・。
「私、コロナ陽性やった」
「近くに来たらあかんで」
その夜からは、別々の部屋での生活とはいえ、一つ屋根の下。
不安と戸惑いの中、翌晩、栗東市内の小児科医院で抗体検査を受け、16日には陰性結果にホッと一安心。
念のためPCR検査を草津保健所で受け、19日には陰性となったもののそれから1週間経った24日にも未だ喉の痛みと頭痛がひどくなるばかり。
そして、その夜からは38度を超える熱が出、翌朝再検査をすると陽性結果になりました。
26日夜からは、宿泊療養施設での高熱と咳、喉の痛みが約1週間続きました。
この間、不安と心細さから「この状態がいったいいつまで続くの か」と思いましたがそんな時、看護師さんのひと言が生きる希望をもたらしてくれました。
不遇や不運に出逢っても耐え忍ぶこと。
希望を捨てず、共感してもらえる人の行動を信じることを改めて体感した新春でした。
テレビのワイドショーや国会では、オミクロン株の「軽症」度や、濃厚接触者の隔離待機期間の短縮をチャンネルを回すと無責任に報じています。
あるのは一つの状態と他の状態との比較だけ。
体感していない人の無意味な発言が苦しんでいる患者の耳と心を痛める。
生死を彷徨うかも知れないという恐怖。
食品が喉を通らない生活を経験した者しかわからないのがコロナウイルスの苦しみだと改めて自ら知ったと同時に、健康でいられることの喜び。
当たり前の生活を送れることの有難さを知ったと同時に、出来事すべてを受け入れ体験したものこそが復帰後出来るのは、『コロナウイルス感染を正しく伝えることの肝要さ』だと強く心に刻んだ病床の日々でした。
【※ご尽力くださいました医療・看護・宿泊療養関係者の皆さんはじめ、この間、ご激励いただきました皆様方に改めて厚くお礼申し上げます。
また、今なお、苦しんでおられる患者さまとそのご家族に衷心お見舞申しあげます。(拝)】