お知らせ

『コロナ禍の教育』

 例年なら弥生三月は地元や母校の卒業式や卒園式にお招きいただく時期です(でした)。

 語尾が過去形になっているのは、新型コロナウイルス感染拡大以降は呼んでいただく来賓も限られた人数に絞られ、ほとんどの県会議員は参列を遠慮することになっています。

 お祝いのメッセージと宛名を書きながら、コロナ禍の今年の卒業生、とりわけ中学生や高校生は三年間の在校した中のその大半の行事が一変したことに思いを寄せます。。

 どれだけ本当に困っている人、立場が弱く声が小さい人の『手を引っ張り、背中を押してあげることが出来たのだろうか』。

 自省の日々・・・。

 きっとコロナ禍の教育に携わられた多くの先生方が子ども達のことを思い、苦悩の日々をお過ごしになられていることでしょう。

 思慮深くその学校の生徒のことを思いながら一枚一枚の封筒に糊づけをする毎日です。

 コロナで未来ある子ども達にとって貴重な授業をとめていいものなのか・・・。

 国からの通知はあくまでも通知。

 本来、地方自治とは『おらがまちのことはおらが決める』のが大原則のはずです。

 国や政府に対して、県や市町の首長さんは防波堤になるべきですし、各首長さんに対して教育委員会のトップであるはずの教育長は最期の独立機関として気概をもって子ども達の立場で非常時こそ防波堤になるべきです。

 教育の独立性や公聴性がコロナ禍でどれだけ守られているのか。

 住民に向けて毅然と教育のあるべき姿を発しておられるのか・・・。

 現場に近しい者が、とりわけ形のない福祉や教育に携わるものの矜持や気概が試されていると感じずにはおられません。

 ローカルルールの物事を決め、監視機能を果たす最期の砦である『議会』や『監査』に身を置くものの務めとして身を挺することの意味や意義を感じている今日です。