お知らせ
稲刈りを終え、湖国でも新米を食せる時節となりました。
今日は公務の合間に父、息子と三人で精米作業や新米保管作業を行いました。
この国に二十四節気があることに感謝しながら自然に囲まれ暮らしていける喜びを味わっています。
一年でも『白露』のこの季節が私は大好きです。
早朝の散歩を終え、花々への水やり。
帰宅後お風呂に入り一服がてらに草木を眺めることしかり。
日中の暑さも和らぎはじめ、朝夕の露が宿る度に秋の深まりを日毎に感じます。
人の一生も四季の如く『春夏秋冬』があるのではないでしょうか。
古代インド・ヒンズー教には、人の一生も四つの時期に区分されるといった概念がありました。
『学生期』『家住期』『林住期』『遊行期』。
前半二つは登山で言えば登り。
後半二つは登山でいえば下山の期なのです。
年代で言うなら五十代半ばの今の私の年齢あたりが『分水嶺』でしょう。
紀元前後インドでは『学生期』は、心身ともに鍛え、勉学に励み生きるための様々な経験を積む時代。
『家住期』は、社会に出て額に汗して働き、家庭をはじめてもち、子育てに精を出す『働き盛り』の時代。
『林住期』は、実社会からリタイヤし家族や職場から離れ、『解脱する』文字通り人生の孤独を日々噛みしめ楽しむ時代。
そして、『遊行期』は人生の終活に向けて一つ場所に定住せず、各地を気持ちの赴くままに自由に放浪する時代なのです。
バスケットボールやアメリカンフットボールの如く人生百年を四分の一(クオーター)に区分けし、二十五年スパーンで年齢を積み重ねられれば充実した素晴らしい一生を過ごせるのではないかと最近考えてしまいます。
「天命を全うするためには一日一日の積み重ねこそ大事なんだよ」
「稲穂の頭の如くいくつになっても暑さや寒さに負けず日々地道に過ごすんだよ」
今から三十年前。
白露の季節になると、地域情報誌『栗東の文化』の編集長をしていた頃、『近江の芭蕉』と呼ばれたI僧侶と湖南地方の石碑巡りを月一回のペースでしながらご教示いただいた一言一言を思い出します。
稲から白米にするための作業に親子三代共に汗する秋の一日の拙文でした (拝)