お知らせ
日曜の朝は、NHK『日曜討論』を時々みます。
毎週、あるテーマに基づいて各党の論客が政策や主張をたたかいあわす番組です。
『保守色』や『リベラル色』『革新色』。
思想の右左ではなく、それぞれの議員の個性もあいまって、じっくりときいている内に党と違う言質に矛盾が垣間見える時もあります。
そんな時、『党って何?』と考えることもしばしばあります。
私が14年前、当時の民主党に入ったのは本来『リベラル』の語源である「おおらかさや、心が広い」の形容であり、今でいう多様性を一番含んだ人の集まりで、そんな思想の仲間が多く所属していた党だったからです。
私には、そんな中でもこれまで守ろうとしてきた『三つの信念』があります。
一つには、『思想の自由』です。
多くの宗教が乱立する中世欧州はじめ歴史上、この地球上では思考を認め合い、あらゆる立場の人々とも交流しうる、ひらかれたガラス張りの精神や姿勢を貫くのが元来、『リベラル』であったはずです。
そこに政党として一定『思想の自由』が加味されてこそ、『民(国民・県民・市民等)主軸』のボトムアップの政策が出来上がると信じています。
田舎生まれで、大学卒業後、社会人になってからは、東京・大阪はじめ大都会で住まれる方々はじめ、多くの皆さんとつきあう機会に恵まれました。
そんな折、日本の各地域にはそれぞれ多くの文化や考え方があることをしりえました。
そんな生い立ちの中、『総論保守でありながら、それぞれの部分でおかしいと矛盾を感じた各論の施策では社会の現状を変えたい』と思うようになりました。
連携勢力が結集協力しつつ多少の違いを認め合える寛容性に富んだ真のリベラルが、「これからの世の中はこうあるべきだ」と、そこに魅力を感じ私は「思想の自由」色の強い民主党に入ったのです。
それからというもの、民主党政権は数年で終焉。
自らの本意とは違う形で、名前が変わった「民進党」へとなりました。
そして突然の「希望の党」合流から変容。
新しく「希望の党」から「国民民主党」となった所には残らず、新しく立ち上がった『市民党・ボトムアップの政治』を標榜した当時の『立憲民主党』の滋賀県連の立ち上げ人として関わらせていただきました。
当時は、財政も人も脆弱で大変な思いも連日し、東京本部にも手弁当で日参しましたが、希望に燃えた熱い議論を交わす日々でした。
その後、再度「国民民主党」との合流話が・・・。
更には、共産党との『野党共闘』による選挙を強いられました。
国の政策に党に属している組織議員は従わなくてはならずその時々、翻弄されてきたのです。
【いつも、読んでいただきありがとうございます。このつづきは来週記載させていただきます。】
◎(この「私の政治信条」の続きは来週に記載させていただきます。次回は、二つ目と三つ目です)